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もののしくみ研究室

2017年02月24日 06:00  学び~社会

杉原千畝の功績って?~命のビザ

『千畝の功績、守りたい ペンキ屋さん旧日本領事館へ』 朝日新聞

ヨーロッパにある小さな国、リトアニア。
第二次世界大戦がはじまる前、この国には、日本の領事館(りょうじかん)があった。
今は使われなくなり、すっかり古くなったその領事館に、日本のペンキ屋さんが集まっているらしい。

集まったのは、日本全国150のペンキ屋さんたち。
チームの名前は、「塗魂(とうこん)ペインターズ」。

リトアニアの日本領事館は、今は「杉原記念館」として、使われている。

すっかりとふるぼけてしまったこの建物を、新しく塗り替えて、ピカピカにしたい。
そして、かつてリトアニアでかつやくした、杉原千畝(すぎはらちうね)さんの功績(こうせき)を守りたい。
ペインターズのみんなは、そう考えて、今回の作業に取り組んでいるんだって。

杉原千畝さんの功績って、どんな功績なんだろう?
それを知るには、世界で起こった、2回の大きな戦争について知っておかなければならない。
ということで、前回までは、それらの戦争について。

『杉原千畝の功績って?~まずは第一次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396664.html
『杉原千畝の功績って?~なんで二回目の世界戦争が起きちゃったの?』
http://rakuto-toyota.jp/e396672.html
『杉原千畝の功績って?~お次は第ニ次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396765.html

今回は、その続き。
杉原千畝さんについて。

杉原千畝さんは、岐阜県生まれ。
お誕生日は、1900年1月1日。
とてもめでたい、お正月生まれだ。

名古屋市の高校を卒業した杉原さん。
東京の早稲田大学(わせだだいがく)へ進学する。

早稲田大学を卒業した後は、外交官(がいこうかん)として、大活躍。
外交官とは、日本の国の代表として、外国とのやりとりをする、とてもむずかしいお仕事。
杉原さんは、26歳にして、「ロシア問題のエキスパート」と呼ばれるくらい、すごい外交官だったんだよ。

杉原さんの夢は、ロシアのモスクワにある日本大使館でかつやくすること。
1937年、杉原さんは、そのモスクワの大使館で、お仕事をすることが決まった。

ついに、夢がかなう時がきた。
そう思ったのも、つかのま。
ロシア側から、「杉原さんには、来てほしくない」と言われてしまった。
一部のロシア人と仲が良すぎるのを、きらわれちゃったみたい。
杉原さんは、しかたなく、フィンランドのヘルシンキにある大使館に行き、ヨーロッパでのお仕事を始める。

1939年8月28日。
その後、ロシアにほど近い、リトアニアのカウナスにある日本領事館(りょうじかん)におひっこし。
ドイツやロシアなどで、戦争がおこりそうな感じになってきたことをうけて、スーパー外交官の杉原さんが、ドイツやロシアのことをいろいろと調べることになったんだ。

カウナスに日本人がやってきたのは、はじめてのこと。
カウナスの人たちは、「日本って、いったいどんな国?」と興味津々(きょうみしんしん)。
「毎日おふろに入るって、本当?」とか、「日本の女の人は、どんなお仕事をしているの?」とか、いろいろと聞かれたらしいよ。

さて。
杉原さんがカウナスに引っ越した4日後の1939年9月1日。
ドイツがポーランドに侵攻(しんこう)、つまり攻め込んで、ついに第二次世界大戦がはじまってしまった。

9月17日には、ドイツに続いてロシアもポーランドに侵攻。
翌年の1940年6月には、ロシア軍がリトアニアにもやってきて、リトアニアはロシアに占領(せんりょう)されてしまった。

リトアニアを占領したロシアは、リトアニアにあるいろいろな国の大使館や領事館にたいして、「ここはもうロシアのものだから、自分の国へ帰るように。」と言い渡した。
多くの国の大使館や領事館は、リトアニアでの仕事をやめて、自分の国へ帰っていった。
杉原さんも、しかたなく、領事館を閉めて、他の国へ移る準備をしていた。

そのころ、ポーランドを占領したドイツでは、ヒトラーさんがドイツ人にほこりをもたせる目的で、ユダヤ人をたくさん殺しはじめた。
このため、ポーランドのユダヤ人たちは、こぞってリトアニアに逃げ出した。

リトアニアにやってきたユダヤ人たちは、安全な国に逃げ出すために、それらの国の大使館や領事館におしかける。
外国に入るためには、その国の大使館などが発行したビザというものが必要なんだ。

ビザは、「その国に入ってもいいよ。」という許可証(きょかしょう)みたいなもの。
これがないと、その国には、入れてもらえない。

ところが、リトアニアでは、ほとんどの国の大使館が、仕事をやめてしまっていた。
杉原さんがいる日本領事館も、あと数日で、仕事をやめる予定だった。


1940年7月18日の朝。
杉原さんは、信じられない景色を見ることになる。
日本領事館の前に、リトアニアから逃げ出したいユダヤ人たちが、人だかりを作っていたんだ。

このころ、カウナスでまだ仕事をしていたのは、日本の領事館くらいしかなかった。
だから、みんな、ここにやってきた。

日本領事館に殺到(さっとう)したユダヤ人たち。
日本に行くためのビザがほしいと、必死でお願いする。

日本からは、これ以上、ビザを出すなと言われている。
しかし、杉原さんは、決断する。
「この人たちを見捨てることはできない。」

こうして、杉原さんは、日本からの命令に違反しながらも、ビザを書き続けた。
杉原さんがカウナスを出発するのは、8月31日。
その日までの1月半、ユダヤ人たちが持ってきた書類に、必死でビザを書き続けた。

杉原さんの書いたビザは、およそ6000人分。
ビザをもらった人たちは、無事にリトアニアから逃げ出すことができた。

こののち、ドイツとロシアは戦争になり、カウナスにいたユダヤ人4万人のうち1万人が、ドイツによって殺されることになる。
杉原さんのはたらきがなかったら、この被害は、もっともっと大きなものになっていたはずだ。
6000人もの命を救った杉原さんのビザは、「命のビザ」と呼ばれている。

杉原さんの功績は、今でもユダヤ人たちの中で息づいている。
岐阜県八百津町(やおづちょう)にある杉原千畝記念館には、毎年たくさんの外国人がおとずれるんだ。

写真は、カウナスの日本領事館。
ペインターズのみなさんによって、ピカピカになって、杉原さんの功績を長く伝えてくれるはずだ。




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