愛知県豊田市の小学生学習塾 勉強が好きになる!RAKUTO豊田校

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2017年02月25日 06:00  学び~社会

トランプ大統領~1国家でも2国家でもって、どういうこと?

『トランプ氏、「2国家共存」こだわらず イスラエル首相と会談 』 日本経済新聞

アメリカのドナルド・トランプ大統領。
ひとつの発言が、大きな話題になっている。

その発言とは、「2国家でも1国家でもいい。」というもの。
なんの話かといえば、イスラエルとパレスチナというふたつの国について。


第二次世界大戦で、ドイツからしいたげられたユダヤ人たち。
当時、イギリスのものであったパレスチナに、移り住むようになる。

パレスチナには、ユダヤ教やキリスト教の聖地とされる、エルサレムがある。
だから、たくさんのユダヤ人が、この場所をめざした。

一方、むかしからパレスチナに住んでいたアラブ人たちは、これに反抗。
ユダヤ人対アラブ人のあらそいが、はげしくなってきた。


1947年、イギリスが、パレスチナを手放し、ユダヤ人対アラブ人のあらいごとの解決を、国際連盟(こくさいれんめい:国連)に任せることにした。

国連は、「パレスチナ分割決議(ぶんかつけつぎ)」というお約束事を決めた。
パレスチナを、アラブ人の国とユダヤ人の国に分けて、2つの国を作ろうというものだ。

もともとパレスチナに住んでいたアラブ人たちからしたら、「どうして?」と言いたくなるような決定だけど、この時期、世界の多くの国が、ドイツによってしいたげられていたユダヤ人に同情していたみたい。


1948年5月14日。
「パレスチナ分割決議」のお約束事にのっとり、ユダヤ人たちは、新しい国を作る。
イスラエルの誕生だ。

アラブ人たちは、これに反発。
第一次中東戦争(だいいちじちゅうとうせんそう)が、起こってしまう。
アラブ人たちからすると、「2つの国なんて、とんでもない。ここは、おれたちが昔から住んでいた場所なんだ。」って感じだったんだろうね。


その後も、たくさんの戦争をへて、力を持ったイスラエル。
ユダヤ人をパレスチナに送り込み、どんどん勢力を拡大しはじめた。


1988年11月、今度は、パレスチナが国として独立を宣言(せんげん)する。
こちらも、「パレスチナ分割決議」のお約束通り。

しかし、国とよべるような場所はもっておらず、首都もイスラエルの支配するエルサレムとした。
結局、パレスチナは、国とよべるような国には、なっていない。

こうして、長い間、イスラエルとパレスチナの間に横たわっているのが、「ふたつの国問題」だ。


今年2017年2月15日。
イスラエルの大統領ネタニヤフさんが、アメリカをおとずれた。
目的は、トランプ大統領をお話しすること。

この話し合いの中で、トランプ大統領は「(イスラエルとパレスチナは)2国家でも1国家でもいい。」と話したとのこと。

「ふたつの国問題」について、今までのアメリカの大統領は、ずっと、「2つの国がいっしょに仲良くしていくしかない。」という考えだった。
それを「ひとつでもいい」と話したトランプ大統領。

今年になって、新たにパレスチナへ人を送り込む準備をはじめていたネタニヤフ大統領。
このトランプ大統領の言葉を聞いて、どう思ったんだろう?
みんな、想像してみてね。


参考記事
『イスラエルとパレスチナ、なぜ争う?』
http://rakuto-toyota.jp/e267039.html
『破かれたアンネの日記!?』
http://rakuto-toyota.jp/e263825.html
『杉原千畝の功績って?~まずは第一次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396664.html
『杉原千畝の功績って?~なんで二回目の世界戦争が起きちゃったの?』
http://rakuto-toyota.jp/e396672.html
『杉原千畝の功績って?~お次は第ニ次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396765.html
『杉原千畝の功績って?~命のビザ』
http://rakuto-toyota.jp/e397265.html

写真は、パレスチナに送り込んだユダヤ人を、周りのアラブ人などから守るためにつくられた壁。ウィキペディアより。




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2017年02月24日 06:00  学び~社会

杉原千畝の功績って?~命のビザ

『千畝の功績、守りたい ペンキ屋さん旧日本領事館へ』 朝日新聞

ヨーロッパにある小さな国、リトアニア。
第二次世界大戦がはじまる前、この国には、日本の領事館(りょうじかん)があった。
今は使われなくなり、すっかり古くなったその領事館に、日本のペンキ屋さんが集まっているらしい。

集まったのは、日本全国150のペンキ屋さんたち。
チームの名前は、「塗魂(とうこん)ペインターズ」。

リトアニアの日本領事館は、今は「杉原記念館」として、使われている。

すっかりとふるぼけてしまったこの建物を、新しく塗り替えて、ピカピカにしたい。
そして、かつてリトアニアでかつやくした、杉原千畝(すぎはらちうね)さんの功績(こうせき)を守りたい。
ペインターズのみんなは、そう考えて、今回の作業に取り組んでいるんだって。

杉原千畝さんの功績って、どんな功績なんだろう?
それを知るには、世界で起こった、2回の大きな戦争について知っておかなければならない。
ということで、前回までは、それらの戦争について。

『杉原千畝の功績って?~まずは第一次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396664.html
『杉原千畝の功績って?~なんで二回目の世界戦争が起きちゃったの?』
http://rakuto-toyota.jp/e396672.html
『杉原千畝の功績って?~お次は第ニ次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396765.html

今回は、その続き。
杉原千畝さんについて。

杉原千畝さんは、岐阜県生まれ。
お誕生日は、1900年1月1日。
とてもめでたい、お正月生まれだ。

名古屋市の高校を卒業した杉原さん。
東京の早稲田大学(わせだだいがく)へ進学する。

早稲田大学を卒業した後は、外交官(がいこうかん)として、大活躍。
外交官とは、日本の国の代表として、外国とのやりとりをする、とてもむずかしいお仕事。
杉原さんは、26歳にして、「ロシア問題のエキスパート」と呼ばれるくらい、すごい外交官だったんだよ。

杉原さんの夢は、ロシアのモスクワにある日本大使館でかつやくすること。
1937年、杉原さんは、そのモスクワの大使館で、お仕事をすることが決まった。

ついに、夢がかなう時がきた。
そう思ったのも、つかのま。
ロシア側から、「杉原さんには、来てほしくない」と言われてしまった。
一部のロシア人と仲が良すぎるのを、きらわれちゃったみたい。
杉原さんは、しかたなく、フィンランドのヘルシンキにある大使館に行き、ヨーロッパでのお仕事を始める。

1939年8月28日。
その後、ロシアにほど近い、リトアニアのカウナスにある日本領事館(りょうじかん)におひっこし。
ドイツやロシアなどで、戦争がおこりそうな感じになってきたことをうけて、スーパー外交官の杉原さんが、ドイツやロシアのことをいろいろと調べることになったんだ。

カウナスに日本人がやってきたのは、はじめてのこと。
カウナスの人たちは、「日本って、いったいどんな国?」と興味津々(きょうみしんしん)。
「毎日おふろに入るって、本当?」とか、「日本の女の人は、どんなお仕事をしているの?」とか、いろいろと聞かれたらしいよ。

さて。
杉原さんがカウナスに引っ越した4日後の1939年9月1日。
ドイツがポーランドに侵攻(しんこう)、つまり攻め込んで、ついに第二次世界大戦がはじまってしまった。

9月17日には、ドイツに続いてロシアもポーランドに侵攻。
翌年の1940年6月には、ロシア軍がリトアニアにもやってきて、リトアニアはロシアに占領(せんりょう)されてしまった。

リトアニアを占領したロシアは、リトアニアにあるいろいろな国の大使館や領事館にたいして、「ここはもうロシアのものだから、自分の国へ帰るように。」と言い渡した。
多くの国の大使館や領事館は、リトアニアでの仕事をやめて、自分の国へ帰っていった。
杉原さんも、しかたなく、領事館を閉めて、他の国へ移る準備をしていた。

そのころ、ポーランドを占領したドイツでは、ヒトラーさんがドイツ人にほこりをもたせる目的で、ユダヤ人をたくさん殺しはじめた。
このため、ポーランドのユダヤ人たちは、こぞってリトアニアに逃げ出した。

リトアニアにやってきたユダヤ人たちは、安全な国に逃げ出すために、それらの国の大使館や領事館におしかける。
外国に入るためには、その国の大使館などが発行したビザというものが必要なんだ。

ビザは、「その国に入ってもいいよ。」という許可証(きょかしょう)みたいなもの。
これがないと、その国には、入れてもらえない。

ところが、リトアニアでは、ほとんどの国の大使館が、仕事をやめてしまっていた。
杉原さんがいる日本領事館も、あと数日で、仕事をやめる予定だった。


1940年7月18日の朝。
杉原さんは、信じられない景色を見ることになる。
日本領事館の前に、リトアニアから逃げ出したいユダヤ人たちが、人だかりを作っていたんだ。

このころ、カウナスでまだ仕事をしていたのは、日本の領事館くらいしかなかった。
だから、みんな、ここにやってきた。

日本領事館に殺到(さっとう)したユダヤ人たち。
日本に行くためのビザがほしいと、必死でお願いする。

日本からは、これ以上、ビザを出すなと言われている。
しかし、杉原さんは、決断する。
「この人たちを見捨てることはできない。」

こうして、杉原さんは、日本からの命令に違反しながらも、ビザを書き続けた。
杉原さんがカウナスを出発するのは、8月31日。
その日までの1月半、ユダヤ人たちが持ってきた書類に、必死でビザを書き続けた。

杉原さんの書いたビザは、およそ6000人分。
ビザをもらった人たちは、無事にリトアニアから逃げ出すことができた。

こののち、ドイツとロシアは戦争になり、カウナスにいたユダヤ人4万人のうち1万人が、ドイツによって殺されることになる。
杉原さんのはたらきがなかったら、この被害は、もっともっと大きなものになっていたはずだ。
6000人もの命を救った杉原さんのビザは、「命のビザ」と呼ばれている。

杉原さんの功績は、今でもユダヤ人たちの中で息づいている。
岐阜県八百津町(やおづちょう)にある杉原千畝記念館には、毎年たくさんの外国人がおとずれるんだ。

写真は、カウナスの日本領事館。
ペインターズのみなさんによって、ピカピカになって、杉原さんの功績を長く伝えてくれるはずだ。




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2017年02月23日 06:00  学び~社会

杉原千畝の功績って?~お次は第ニ次世界大戦について

1939年9月、ドイツは、ヨーロッパをすべて自分のものにするために、ポーランドに戦争をしかける。
第二次世界大戦のはじまりだ。

『杉原千畝の功績って?~まずは第一次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396664.html
『杉原千畝の功績って?~なんで二回目の世界戦争が起きちゃったの?』
http://rakuto-toyota.jp/e396672.html


ドイツ軍は、強い。
どんどんヨーロッパを自分のものにして、ついには、フランスの首都パリを占領(せんりょう)してしまった。

このころ、ヒトラーさんは、ドイツの国民に「おれたちは、すごいんだ!」という気持ちを持たせるために、たくさんのユダヤ人を殺している。
「ユダヤ人」は、「神からえらばれた民族」という意味を持っていて、そうした人たちを殺すことで、「どうだ!ドイツ人は、すごいだろ?ドイツ人で、よかっただろ?」と、国民に問いかけたんだ。

殺されたユダヤ人は、600万人ともいわれている。
すごい数だよね。
有名な『アンネの日記』は、ドイツ軍からかくれて生活をする、ユダヤ人のアンネ・フランクが書いた日記なんだ。

調子にのったドイツは、1941年6月、ソ連(当時のロシア)に攻め込む。
ところが、ソ連も強い。
ここで、ドイツは、苦戦することになる。


一方で、日本。
日本も、ドイツに負けず、どんどん国を大きくしていた。

1940年9月には、インドネシアまで進出。
東南アジアの多くは、日本のものとなった。

それを見て、びっくりしたのは、アメリカやイギリス。
「このままにしておくと、日本がどんどん大きくなる!」
そう思った彼らは、必殺ABCD包囲網(ほういもう)を作り出す。

Aはアメリカ、Bはイギリス、Cは中国、Dはオランダ。
この4つの国が協力して、日本と戦うことにした。

さらに、外国から日本に石油などを運ぶ船を攻撃。
日本に、石油が届かないようにした。


石油がないと、船や飛行機も動かない。
1941年12月8日、それに困った日本軍が、反撃に出る。

陸軍は、マレー半島でイギリスと戦争をはじめる。
海軍は、アメリカの真珠湾(しんじゅわん)を攻撃し、こちらもアメリカと戦争をはじめてしまった。


1942年6月。
空母4隻を中心とした日本海軍は、ミッドウェーという場所で、アメリカとの決戦にいどむ。

このミッドウェー海戦で、日本軍はぼろまけ。
空母4隻をふくむ、ほとんどの船をしずめられてしまった。
これ以降、日本はせめられっぱなしの状態になってしまう。


一方のドイツも、1943年2月に、ソ連軍に負けて、苦しい状態に。
同じ年の7月には、仲のよかったイタリアも戦争で負けて降伏(こうふく)、ますます苦しい状態になってしまった。

そして、1944年6月6日。
アメリカとイギリス、カナダなどの軍隊が、フランスのノルマンディー地方に集結。
これとたたかったドイツ軍は、ぼろ負け。

その後も、ドイツは負け続け、1945年4月30日には、ドイツを率いていたヒトラーさんが自殺。
5月2日には、首都ベルリンを、ソ連軍にとられてしまう。

そして、5月7日、ついにドイツは負けを認めて、ヨーロッパでの戦争は終わった。


同じころ、日本の戦争も、はげしいものになっていた。

ミッドウェー海戦でぼろ負けした日本。
その後負け続けてむかえた、1945年4月1日。

ついにアメリカ軍が、日本の沖縄に上陸。
沖縄を助けようとしてかけつけた戦艦大和(せんかんやまと)も、4月7日にしずめられてしまう。

その後、アメリカは、日本のいろいろな都市に爆弾を落とし、日本の主な都市はぼろぼろに。

そして、1945年8月6日。
広島市に、原子力爆弾(げんしりょくばくだん)が落とされ、大きな広島の街が、一瞬にして消え去った。

同じく、8月9日、長崎市にも原子力爆弾が落とされ、8月14日、ついに日本は負けをみとめた。
こうして、長く苦しい戦争が、ようやく終わったんだ。


さて、戦争の話が長くなってしまったけど、話を新聞記事に戻すよ。

『千畝の功績、守りたい ペンキ屋さん旧日本領事館へ』 朝日新聞

杉原千畝(すぎはらちうね)さんは、この戦争の時代に、ヨーロッパで外交官(がいこうかん)をしていた人だ。
いったい、どんな功績(こうせき)を残したんだろう?

今回の記事で紹介した、ユダヤ人の大虐殺(だいぎゃくさつ)と、関係していることらしいよ。
どんな功績を残したのか、ちょっと想像してみてね。

長くなったので、続きは次回。

写真は、戦艦大和。ウィキペディアより。
この当時、世界で一番大きな戦艦だったんだ。




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2017年02月22日 06:00  学び~社会

杉原千畝の功績って?~なんで二回目の世界戦争が起きちゃったの?

前回は、第一次世界大戦についてお話したよ。

『杉原千畝の功績って?~まずは第一次世界大戦について』
http://rakuto-toyota.jp/e396664.html

今日はその続き、第二次世界大戦について。

ドイツの負けで終わった、第一次世界大戦。
世界中の人たちは、「もう戦争は、こりごりだ。」と考えた。

そこで、国際連盟(こくさいれんめい)というものを作った。
もしも、国と国とでいさかい事がおきたら、国際連盟のみんなで話し合って、戦争にならないようにしようと考えたんだね。


ところが、またしても事件が起こる。

今度は、第一次世界大戦にきっかけとなったサラエボ事件のように、だれかが殺されちゃったというような事件ではない。
世界中で、経済がめちゃめちゃになっちゃったんだ。

原因は、第一次世界大戦のなごり。

大きな戦争が行われている時は、たくさんのものが失われて、ものが不足する。
だから、いろいろなものをたくさん作って、ものがなくて困っている国にもっていけば、たくさんお金がもうかる。
第一次世界大戦の間、アメリカや日本、イギリスなどの大きな国では、工場をどんどんたてて、がんがんものを作った。

戦争が終わって、世界に平和がおとずれると・・・今度は作りすぎたものがあまっちゃうように。
むだな工場もたくさんできてしまい、経済はたいへんなことに。

1929年10月24日には、アメリカのニューヨークで、株価が大暴落(だいぼうらく)。
世界恐慌(せかいきょうこう)といって、世界中の経済が、いっせいに冷え込んでしまった。


アメリカでは、「これは、大変。国がたくさんお金を出して、大きな工事をどんどんしよう。そうすれば、元気のなくなった国民たちにもお金が回るはずだ。」ということで、ニューディール政策というものを行った。

イギリスやフランスは、「これは大変。他の国のことなんか、かまってられない。まずは、自分の国のことだけを考えよう。」と、ブロック経済作戦を行った。
イギリスやフランスは、たくさんの植民地をもっているので、他の国と貿易(ぼうえき)なんかしなくても、なんとかやっていけちゃうんだ。


困ったのは、植民地を持たない、国たち。

日本やドイツ、イタリアなどは、「これは大変。イギリスやフランスのように植民地のないおれたちは、どうしたらいいんだ?」となってしまった。
特に、第一次大戦に負けて、たくさんの借金(しゃっきん)を背負っていたドイツは、「こんなの、やってられないよ!」状態に。
そして、ついに、「こうなったら、他の国に戦争をしかけて、国を大きくするしかない!」となってしまった。


イタリアを率いるのは、ムッソリーニさん。
1935年にアフリカのエチオピアを侵略(しんりゃく)して、1937年には国際連盟のメンバーからぬけた。

ドイツを率いるのは、ヒトラーさん。
1933年に国際連盟のメンバーからぬけて、1933年には、ベルサイユ条約の約束事をやぶって、軍隊をととのえだした。

日本では、政治家よりも軍部が力をもち、1937年7月に、中国に対して、戦争をしかける。
日中戦争のはじまりだ。

1937年、この3つの国、ドイツ・イタリア・日本は、日独伊防共協定(にちどくいぼうきょうきょうてい)というお約束を結んで、仲間となって戦争することを約束する。
そして、ついに、ドイツが動き出す。

1938年にオーストリアとチェコスロバキアを自分のものにしたドイツは、1939年9月、ヨーロッパをすべて自分のものにするために、ポーランドに戦争をしかける。
これが、第二次世界大戦のはじまりだ。

さて、ちょっと長くなったので、今日はここまで。
続きは、次回。

写真は、第二次世界大戦の様子。ウィキペディアより。
前回の、第一次世界大戦の写真とくらべてみてね。
どんなちがいがある?




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2017年02月20日 16:02  教室点景

先週の教室より~急な斜面を探せ♪

2月のホップ国語は、『おおかみと七ひきの子やぎ』。
3週目となった先週は、前半の文章から、あらすじまとめ。

「最初のブランチは、だれに登場してもらおう?」

「おおかみ!」

「いきなり、おおかみ?」

「おおかみが、家にはいって、子やぎを食べちゃうとこをかく。」

「それだと、ほかの人が見ても、なんでおおかみが家に入ってきちゃったのか、わからんね。」

「じゃあ、子やぎにしよう!」

「子やぎ、いいね。でも、なんで、子やぎだけで、るす番することになっちゃったのかも、伝えられるとわかりやすいと思うな。」

「そうか、ならば、お母さんだ、お母さん♪お母さんが、買い物に行く。」

ま、いいんじゃない?
買い物ではなかった気がするが・・・(^-^;


ホップ社会は、『地図の見方』。
等高線の勉強をした後は、地図で等高線さがし。

「だれが、一番急な場所を見つけられるかな?よーい、どん!」

ひとりが、「ここ、めちゃくちゃ急じゃない?」というと、「おぉー!」とみんなで大盛り上がり。
ひとしきり、等高線さがしを楽しみました(^^)/





こちらは、月曜日クラスのレッスン前の様子。
人数がふえて、高速リスニングコーナーも、にぎやかに(#^^#)




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2017年02月20日 06:00  学び~社会

杉原千畝の功績って?~まずは第一次世界大戦について

『千畝の功績、守りたい ペンキ屋さん旧日本領事館へ』 朝日新聞

ヨーロッパにある小さな国、リトアニア。
第二次世界大戦がはじまる前、この国には、日本の領事館(りょうじかん)があった。
今は使われなくなり、すっかり古くなったその領事館に、日本のペンキ屋さんが集まっているらしい。

集まったのは、日本全国150のペンキ屋さんたち。
チームの名前は、「塗魂(とうこん)ペインターズ」。

リトアニアの日本領事館は、今は「杉原記念館」として、使われている。

すっかりとふるぼけてしまったこの建物を、新しく塗り替えて、ピカピカにしたい。
そして、かつてリトアニアでかつやくした、杉原千畝(すぎはらちうね)さんの功績(こうせき)を守りたい。
ペインターズのみんなは、そう考えて、今回の作業に取り組んでいるんだって。

杉原千畝さんの功績って、どんな功績なんだろう?

それを知る前に、まずは、世界で起こった、2つの大きな戦争について、知っておこう。
第一次世界大戦と、第二次世界大戦だ。
まずは、第一次世界大戦について。


・・・


1900年ころのこと。
ヨーロッパでは、仲の悪い国どうし、いがみあいを続けていた。

オーストリアと仲が悪いのは、セルビア。
ドイツと仲が悪いのは、フランスとイギリス。

一方で、仲良しグループは、大きく2つ。
ドイツ・イタリア・オーストリアの仲良しグループ。
それに、イギリス・フランス・ロシアの仲良しグループだ。

1900年ころ、これらの仲良しグループ同士の対立はとてもはげしく、いつ戦争になってもおかしくない状態だった。


1914年6月28日。

そんな中、サラエボ事件とよばれる事件が発生する。
ボスニアという国をおとずれていたオーストリアの王子様が、セルビアの青年に殺されてしまったんだ。

かんかんにおこったのは、オーストリア。
いろいろと話し合いは行われたものの、7月28日に、セルビアに対し宣戦布告(せんせんふこく)、「戦争でこらしめてやる!」って宣言した。

これをうけて、最初に動いたのが、セルビアのうしろだてになっていたロシア。
セルビアを助けるために、軍隊をさしむけた。

これに文句を言ったのは、ドイツ。
「軍隊をひっこめろ!」とロシアに言った。

しかし、ロシアは一歩もひかず、1914年8月2日、ドイツはロシアに対して、宣戦布告。
次の日の3日には、ロシアと仲良しのフランスに対しても、宣戦布告した。
こうして始まったのが、第一次世界大戦だ。

ドイツ・イタリア・オーストリア対イギリス・フランス・ロシアとして始まった、この戦争。
ドイツグループだったイタリアが、イギリス・フランスのおさそいにのって、イギリスグループへのりかえ。
さらに、気が付けば、アメリカや日本までイギリス側として参戦。

1918年に入ると、オーストリアで革命がおこり、イギリスグループと戦うのは、ドイツ一国だけに。
そして、1918年11月、ドイツは負けをみとめる。


その後、負けたドイツをどうしていくのか、イギリスやフランス、ドイツなどの人が集まって、話し合いがもたれた。
その結果、1919年5月28日に、ベルサイユ条約というお約束事が決定される。

このお約束事で、ドイツは領土(しょうど)のいくらかを手ばなすこと、罰金(ばっきん)を支払うことなどが決められた。
この時の罰金は、1320億金マルク。
日本の円にすると、200兆円くらい。
とてもじゃないけど、この時のドイツに支払うことができる金額ではなく、これが、後々の戦争の火種になる。

さて、とりあえず今回は、ここまで。
次回は、第二次世界大戦について。

写真は、第一次世界大戦の様子。ウィキペディアより。



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2017年02月18日 06:00  学び~理科学び~社会

頭のよいカラスたち~岐阜の神社に1000羽も!

『カラス1000羽、フン害に神社困惑…対策難航』 読売新聞

岐阜県岐阜市(ぎふし)。
その中心部にある金神社(こがねじんじゃ)に、たくさんのカラスが集まっているらしい。
その数、なんと1000羽。

みんな、カラスを見たことある?
けっこう大きな鳥だし、2~3匹集まっているだけでも、近くで見るとはくりょくがある。
それが、1000羽。

岐阜市の中心部といえば、けっこうな街なんだけど、なんで人の多い街に、カラスが集まるんだろう?
山の近くの方が、人が少なくて、カラスも安心してくらせそうなものだけど。

岐阜大学の野生動物管理学研究センター(やせいどうぶつかんりセンター)の森元先生によると、街の中は、タカなどの敵がいないうえに、エサになるものが多いので、カラスにとってはくらしやすいのではないか、とのこと。

エサになるものが多いって、いったい、カラスは何を食べているのだろう?
街の中に多いものを、食べているらしいけど、みんな、想像できる?



・・・



答えは、ゴミ。

いわれてみれば、街の中のゴミを集める場所で、カラスをみかけることも多い。
カラスは、とても頭がよいので、ゴミを袋からひきずりだすくらいのことは、朝飯前(あさめしまえ)なんだろうね。

それにしても、1000羽はすごい。
神社の人たちは、爆竹(ばくちく)をならしたり、ライトをあてたりと、いろいろ対策しているけど、頭のよいカラスたちは、一度は逃げてもすぐにもどってきてしまうんだって。

ところで、カラスって、どのくらい頭がよいんだろう?
ここからは、5年前の記事で、カラスの頭のよさについて。



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先週、カラスの記憶力が人間以上かも!?という記事を書きました。

「記憶力抜群の黒い奴!」
http://rakuto-toyota.jp/e273610.html

今日は、カラスのすごいところを、もっとたくさんご紹介!


カラス。
鳥類カラス科。

日本でよく見られるのは、ハシブトカラス。
つばさの大きさ、32~29センチメートル。
けっこう、大きい!
全身真っ黒!

鳥の中で、いちばん頭がよい!
社会性もある!
みんなで協力したり、鳴き声で会話できるんだ。

色もきちんと見分けられる!
ひとりひとりの人間を見分けられる!


次にあげるのは、カラスのかしこさを示す例。


カキを高い場所からコンクリートの地面に落として割る。

道にクルミをおいて、車にひかせて割る。

ビンの中の水に浮いているエサを取り出すために、小石を入れて水かさを上げる。

瓶の中で水に浮く餌を取り出すために石を沈めて水位を上げる

神社のおさい銭を盗んで、自動販売機でハトのエサを買っていたという話も!

カレドニアにいるカラスは、自分で道具を作って、それを使ってエサになる虫の幼虫を穴から引きずり出す。


すごいよね!


なんでも食べるカラス君。
生ごみをあらしたり、人が育てている作物を食べちゃったり。
いろいろな悪さをする。
頭がよいので、対策もたいへん!


さて、そんなカラス君。
実は、遊びが大好き!

電線にぶらさがる!

すべり台ですべる!

雪の斜面をすべり降りる!

こうやって遊んでいるところが目撃されている!

遊んでいるカラス君、見てみたい!
いっしょに楽しく遊べるといいのにね!


写真は、カラスの巣。ウィキペディアより。




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2017年02月17日 06:00  学び~理科学び~社会

小水力発電道半ば~その理由は?

『小水力発電 普及道半ば』 中日新聞

小視力発電だって。
普及道半ば(ふきゅう みちなかば)っていうことは、思った通りに利用が広がっていないってことだよね。

・・・

小さな小川や、農業用の水路など、ちょっとした水の流れを利用して電気を作る。
それが、小水力発電だ。

「ちょっとした水の流れ」は、よく目をこらせば、そこら中にある。
こうした流れを利用して電気を作ることができれば、火力で発電する量がへって、二酸化炭素(にさんかたんそ)を出す量もへらすことができる。

小さな流れを利用するので、必要となる設備も小さなものですむ。
当然、お金もそんなにかからない。
愛知県でも、5か所で、小水力発電の行うことができるように、工事を進めている。

県や市では、ふつうの会社や農家にも、ぜひ小水力発電に取り組んでもらいたいと考えている。
ところが、思う通りに広がらないらしい。

理由は、大きくふたつ。

一つ目は、お金の問題。
いくら安いからといっても、お金はかかる。
お金がかかるにもかかわらず、作ることのできる電気は、少しだけ。
これでは、わりに合わない。

二つ目は、時間の問題。
小水力発電ができるようにしたはいいけど、そこにかれ葉がつまったりしたら、すぐに発電できなくなってしまう。
きちんと電気を作るには、かれ葉やゴミがつまっていないかなど、毎日の点検が必要だ。
いそがしい人が多い中、そんな時間はなかなかとることができない。

なかなか難しいね。
ここからは、昨年の記事で、小水力発電のコンテストについて。


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みんな、山に近いいなかのおうちに住んでいることを想像してみて。
目の前には川が流れていて、けっこうないきおいで水が流れている。

ある日、地震がおきて、おうちに電気がこなくなったよ。
停電(ていでん)だ。

電力会社の人たちは、おおいそがし。
しばらくの間、電気を送ることはむずかしそうだ。
屋根に、太陽光発電の装置でもついていればよかったんだけど、それもない。

ここはいなかで、となりのおうちに行くには、自動車で行かないといけない。
でも、自動車は、お父さんが会社にのっていってしまっている。
このまま電気がとまったままだと・・・。
せめて、スマートフォンを充電できるくらいの電気がないと、必要な連絡もとれなくなっちゃう。

おうちの中には、発電用のモーターがあって、これをくるくる回せば電気を作ることができる。
でも、ずっと回し続けるのは、ちょっと大変。

ここで、想像タイム。
なんとか、自動で電気を作ることができないかな?

なるべく体力を使わずに、よりたくさんの電気を、安定して作りたい。
どんな方法があると思う?
想像してみてね。

ヒントは・・・
こんな時こそ、自然の力をかりちゃおう。



・・・



どう?
みんな、よいアイデアはうかんだかな?

考えられるのは、風や水の力をかりること。

木や金属の板を集めて、くるくる回る羽根車を作る。
そして、そこに、発電用のモーターを取り付ける。
あとは、風か水を使って羽根車をくるくる回すことができれば、小さな発電所の完成だ。
風は強い時と弱い時があるので、水の力をかりた方が、安定して電気をつくることができそうだね。


ここで、ニュースを紹介するね。

『水路の急流逆手 豊田高専が初V』 朝日新聞

富山県南砺市(なんとし)。
2016年3月、東海地方や北陸地方の高等専門学校(こうとうせんもんがっこう)の生徒たちが集まって、コンテストが開かれた。

その名も「小水力発電アイデアコンテスト」。
小川や用水路などを流れる水の力を利用して、たくさんの電気を安定して作ることをきそうコンテストだ。
たくさんの電気を、安定して作ることができたチームが勝ち。

集まったのは、7つの高等専門学校のチーム。
そして、見事に優勝したのは・・・

我らが愛知県豊田市の、豊田工業専門学校のチームだ。


豊田工業専門学校のチームが使ったのは、流れの速い用水路。

まずは、木の板や石を使って、うまく水を取り込む。
そこからパイプをつないで、坂の下の方にむけて、水を流す。

パイプの先には、アルミ板を使って作った羽根車がセットされている。
流れてきた水が、その羽根車をくるくる回して、見事にたくさんの電気を作り出した。

すごいすごい。
豊田工業専門学校のチームのみなさん、おめでとう(^^)/

水力発電そのものは簡単なしくみだけど、たくさんの電気を安定して作るには、たくさんのアイデアが必要だ。
みんなも、夏休みの自由研究なんかで、小さな水力発電所を作ってみると、面白いと思うよ。

写真は、中国にある三峡ダム(さんきょうダム)。ウィキペディアより。
世界で一番大きな水力発電用のダムだよ。




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2017年02月16日 06:00  学び~社会

バレンタイン禁止令~バレンタインって、どんな意味があるの?

『パキスタンでバレンタイン禁止令』 CNN

今年2017年2月13日。
パキスタンという国で、バレンタイン禁止令が出されたんだって。

パキスタンの正式名称は、「パキスタン・イスラム共和国」。
その名の通り、イスラム教の国だ。
国民の97パーセントが、イスラム教徒なんだって。

パキスタンの裁判所(さいばんしょ)によると、バレンタインはイスラム教の教えにそむくものらしい。
だから、禁止になったんだね。

一方で、パキスタンの国民たちの意見は、いろいろ。
パキスタンのお花屋さんでは、バレンタインにむけて、花たばや花かざりをたくさん用意していた。
それを、いきなり、「売ってはいけない」と言われてしまい、とても困っているみたい。

ところで、バレンタインって、どんな意味があったんだっけ?
ここからは、昔の記事で、バレンタインについて復習だ。



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昔々、ある小学生4年生の男の子がいました。

同じクラスの女の子に、ひそかに想いをよせる男の子。
ひにくなことに、彼の親友もまた、同じ女の子に想いをよせていました。

2月のある日、晴れ渡った空が、とても気持ち良い朝。

男の子は、思い切って「今度のバレンタインデーに、僕にチョコをください。」と大きな声で女の子にお願いしました。

すると!

彼の親友もまた、同じように「僕にチョコをください。」と元気よくお願いしました。

困った女の子は、しかたなくふたりに同じチョコをプレゼントしたのでした。


・・・


と、これは僕が小学生の頃のお話。
主人公は、ぼくです(笑)。

その後、大人になった親友は、この女の子と結婚します。
なんとも、ドラマチックだ!


・・・


今日は、セント・バレンタインデー。

みんなは、チョコをあげたり、もらったりするのかな?
男の子も、女の子も、ちょっとドキドキの一日だよね。


さて。

今から、およそ1750年ほど前。
西暦(せいれき)270年頃のこと。

ローマという国に、クラウディウス二世という王様がいた。

ローマは、とても強い国。
王様は戦争をして、もっともっと国を大きくしたいと考えていた。

ところが、ローマの若い男性は、なぜか戦争に出たがらない。

ふしぎに思った王様が調べてみると、みんなが出たがらないのは、家族や恋人のそばをはなれたくないという理由らしい。

そこで、王様は、なんと結婚することを禁止してしまった。

結婚して家族ができると、それこそみんながみんな、戦争に出たがらなくなってしまう。
だから、禁止!!


かわいそうなのは、若い兵隊たち。
結婚して、子どもを育てて・・・という当たり前の幸せを、王様にうばわれてしまった。

ここで登場するのが、教会でキリスト教を教えていた、バレンタインさん。

兵隊たちがあまりにかわいそうなので、王様に内緒で彼らを結婚させてあげたんだ。

でも、そのことが王様にばれて、バレンタインさんは処刑(しょけい)されちゃった。

これが、270年2月14日のできごと。


その後、バレンタインさんは、キリスト教の教えにこうけんした「聖人(せいじん)として認められた。

それから、キリスト教では、2月14日を「聖バレンタイン・デー」として、お祝いするようになった。


バレンタインさんのことを思い出す、大切な一日。

いつの日か、若い人たちが、好きな人に告白したり、プレゼントをおくる一日とかわっていったんだ。

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今年のバレンタイン・デーは、火曜日だったね。
みんな、すてきな一日をすごすことができたかな?






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2017年02月15日 06:00  学び~理科

宮城県でオオハクチョウが激増~いったいどうして?

『ハクチョウ激増』 朝日新聞

宮城県にある伊豆沼(いずぬま)と内沼というふたつの沼で、オオハクチョウの数が激増(げきぞう)、つまりものすごく増えているらしいよ。
最近は、環境破壊(かんきょうはかい)や地球温暖化などで、「数が減ってしまった・・・」というニュースが多い中、これはいいニュースだね。

オオハクチョウは、渡り鳥とよばれる鳥のひとつ。
夏はロシアなどの涼しい場所ですごし、冬になるとあたたかい日本にやってくる。
つばさを広げると2メートル以上にもなる、大きな鳥だ。


そのオオハクチョウが、たくさんやってきたのは、宮城県の伊豆沼と内沼。

今年2017年1月12日に調べてみたところ、6412羽のオオハクチョウがいた。
去年の同じころにいたのは、1743羽。
今年は、去年の4倍くらいのオオハクチョウが、やってきているということになる。

なんで、こんなにオオハクチョウの数が増えたのだろう?
みんな、予想してみて。

1.エサとなるレンコンの数が増えた。
2.沼の水を増やして、深くした。
3.沼の水を減らして、浅くした。

どれだと思う?


・・・


答えは、3番。
沼の水を減らして、浅くしたため。

沼を管理している人たちによると、今年は、沼の周りにはえているヨシをかりとるために、沼の水をへらして、15センチメートルほど浅くしたんだって。
そうしたところ、オオハクチョウがすごいいきおいでやってきたらしい。

沼が浅くなると、なんでオオハクチョウが増えるんだろう?
なにか、浅い方が都合がいいことが、何かあるのかな?


・・・


答えは、白鳥たちのエサに関係しているらしい。

ハクチョウたちは、沼にはえるレンコンが大好き。
ただし、レンコンが生えるのは、水の中。

ハクチョウたちは、水の中に顔をつっこんで、レンコンを食べている。
ということは・・・沼が浅くなれば、それほど深く顔をつっこまなくても、レンコンまで口が届く。

沼が浅くなったことで、ハクチョウたちは、レンコンが食べやすくなったんだね。
だから、たくさんのハクチョウが集まっているんだ。

レンコンを食べるために沼に首をつっこんだハクチョウたち。
おしりだけが、ぽこんと沼の上に見える状態に。

今、この沼では、ハクチョウたちのかわいいお尻が、プカップカッとたくさん見える。
とても、楽しい光景みたいだよ。
一度、見てみてたいね。
写真は、オオハクチョウ。ウィキペディアより。




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