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2015年12月07日 06:00 学び~社会
大仏さまと聖武天皇~ついたあだ名は「しょうもない天皇」
西暦724年の日本。
この年、栄えある45代目の天皇になったのは、聖武天皇(しょうむてんのう)だ。
天皇になって、はりきる聖武天皇。
しかし、この時代の日本では、悲しいできごとがたくさんおきた。
730年ころには、天然痘(てんねんとう)という病気が、大流行。
たくさんの人が、死んでしまった。
天候もよくなかった。
日本各地では、農作物がうまく育たず、干ばつや飢饉(ききん)が続いた。
食べるものがなく、やはりたくさんの人が死んでしまった。
734年には、畿内七道地震(きないしちどうじしん)と呼ばれる大地震が発生。
九州では、大きな反乱がおきたりもした。
741年。
「これは、なにかのたたりにちがいない。もっと仏教を信じなければ。」
そう考えた聖武天皇。
日本各地に・・・
と、ここで想像タイム。
聖武天皇は、この後、いったい何をしたと思う?
「仏教をもっと信じなければ!」と思った聖武天皇。
みんながもしも聖武天皇だったら、何をする?
・・・
聖武天皇は、日本各地にお寺を建てた。
国分寺(こくぶんじ)とか国分尼寺(こくぶんにじ)と呼ばれるお寺たちだ。
それでも、日本に住む人たちの不安はおさまらない。
日本各地では、反乱がおこる。
744年。
聖武天皇は、反乱からのがれるように、当時平城京(へいじょうきょう:現在の奈良市)にあった都を、恭仁京(くにきょう)におひっこし。
同じ年、さらに難波京(なにわきょう)におひっこし。
翌745年には、結局もとの平城京へもどってきた。
そして、聖武天皇は考えた。
「これは、もっともっとふかく仏教を信じなければダメなんだ。」
そこで思いついたのが・・・
と、ここでふたたび想像タイム。
聖武天皇は、この後、いったい何をしたと思う?
お寺をたてるだけではだめだった。
「仏教をもっとふかく信じなければ!」と思った聖武天皇。
みんながもしも聖武天皇だったら、何をする?
・・・
外国にもないような、大きな仏像を作れば、きっと救われるんじゃないか。
聖武天皇が思いついたのは、大きな仏像を作ることだ。
745年。
さっそく、仏像の作成が開始された。
日本中の人が、材料を持ち寄ったり、作業を手伝ったり。
まさに、日本人全員の手によって、仏像作りは進んでいく。
そして、752年。
ついに、仏像が完成。
開眼供養会(かいげんくようえ)と呼ばれる、仏像に魂(たましい)を入れる儀式(ぎしき)が行われた。
こうして完成したのが、奈良の東大寺にある、大仏さまだ。
大仏さまの頭には、髪(らほつ)と呼ばれる巻貝みたいなものがついている。
これは、仏像にそなわる特徴である三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)のひとつで、知恵(ちえ)をあらわしている。
この螺髪の数は、大仏さまが作られた時の記録によると、966個。
ところが、最近、大仏さまを見た人たちからは、「ほんとに966個もあるの?」なんて声が聞こえてきたらしい。
そこで登場したのが、東京大学の研究チーム。
最新の技術を使って、螺髪の数を調べ上げた。
その結果・・・
『奈良の大仏、髪の量半分だった レーザー解析で定説覆る』朝日新聞
みんなが、ずっと966個だと思っていた螺髪は、実はその半分くらいの492個しかないことがわかったんだ。
知恵を表す螺髪が、思っていた数の半分しかなかったなんて。
面白いような、ちょっと悲しいような、へんな感じのニュースだね。
ちなみに、大仏さまが出来上がったあとの日本が、どうなったかというと・・・
都の引っ越しに、お寺を建てたり。
さらには、大仏さまを作ったり。
いろいろとお金を使いすぎたために、まずます不安定に。
聖武天皇の作戦は、失敗だったみたい。
RAKUTOっ子たちは、聖武天皇に「しょうもない天皇」ってあだ名をつけていたけど、確かにちょっとしょうもなかったかもしれないね。
写真は、奈良の大仏さま。ウィキペディアより。
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この年、栄えある45代目の天皇になったのは、聖武天皇(しょうむてんのう)だ。
天皇になって、はりきる聖武天皇。
しかし、この時代の日本では、悲しいできごとがたくさんおきた。
730年ころには、天然痘(てんねんとう)という病気が、大流行。
たくさんの人が、死んでしまった。
天候もよくなかった。
日本各地では、農作物がうまく育たず、干ばつや飢饉(ききん)が続いた。
食べるものがなく、やはりたくさんの人が死んでしまった。
734年には、畿内七道地震(きないしちどうじしん)と呼ばれる大地震が発生。
九州では、大きな反乱がおきたりもした。
741年。
「これは、なにかのたたりにちがいない。もっと仏教を信じなければ。」
そう考えた聖武天皇。
日本各地に・・・
と、ここで想像タイム。
聖武天皇は、この後、いったい何をしたと思う?
「仏教をもっと信じなければ!」と思った聖武天皇。
みんながもしも聖武天皇だったら、何をする?
・・・
聖武天皇は、日本各地にお寺を建てた。
国分寺(こくぶんじ)とか国分尼寺(こくぶんにじ)と呼ばれるお寺たちだ。
それでも、日本に住む人たちの不安はおさまらない。
日本各地では、反乱がおこる。
744年。
聖武天皇は、反乱からのがれるように、当時平城京(へいじょうきょう:現在の奈良市)にあった都を、恭仁京(くにきょう)におひっこし。
同じ年、さらに難波京(なにわきょう)におひっこし。
翌745年には、結局もとの平城京へもどってきた。
そして、聖武天皇は考えた。
「これは、もっともっとふかく仏教を信じなければダメなんだ。」
そこで思いついたのが・・・
と、ここでふたたび想像タイム。
聖武天皇は、この後、いったい何をしたと思う?
お寺をたてるだけではだめだった。
「仏教をもっとふかく信じなければ!」と思った聖武天皇。
みんながもしも聖武天皇だったら、何をする?
・・・
外国にもないような、大きな仏像を作れば、きっと救われるんじゃないか。
聖武天皇が思いついたのは、大きな仏像を作ることだ。
745年。
さっそく、仏像の作成が開始された。
日本中の人が、材料を持ち寄ったり、作業を手伝ったり。
まさに、日本人全員の手によって、仏像作りは進んでいく。
そして、752年。
ついに、仏像が完成。
開眼供養会(かいげんくようえ)と呼ばれる、仏像に魂(たましい)を入れる儀式(ぎしき)が行われた。
こうして完成したのが、奈良の東大寺にある、大仏さまだ。
大仏さまの頭には、髪(らほつ)と呼ばれる巻貝みたいなものがついている。
これは、仏像にそなわる特徴である三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)のひとつで、知恵(ちえ)をあらわしている。
この螺髪の数は、大仏さまが作られた時の記録によると、966個。
ところが、最近、大仏さまを見た人たちからは、「ほんとに966個もあるの?」なんて声が聞こえてきたらしい。
そこで登場したのが、東京大学の研究チーム。
最新の技術を使って、螺髪の数を調べ上げた。
その結果・・・
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みんなが、ずっと966個だと思っていた螺髪は、実はその半分くらいの492個しかないことがわかったんだ。
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Posted by RAKUTO豊田校
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