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2016年07月29日 06:00 学び~社会
日本から新たな世界遺産~明治の産業革命って?(その2)(再掲)
RAKUTO豊田校は、平成28年7月25日(月)~7月30日(土)まで、夏期講習ウィーク。
ブログは、過去記事を再掲します。
過去のブログ再掲シリーズ。
今回は、日本に新しい世界遺産がうまれたことを記念して、世界遺産シリーズ。
『日本にあらたな世界遺産~いったいどんな建物?』
http://rakuto-toyota.jp/e372381.html
------------------------------------------------
ここ数回、世界遺産について紹介してきたよ。
『日本から新たな世界遺産~世界遺産って、なんだっけ?』
http://rakuto-toyota.jp/e317387.html
『日本から新たな世界遺産~今の日本の世界遺産は?』
http://rakuto-toyota.jp/e317397.html
『日本から新たな世界遺産~遺産の背景にあるものは?』
http://rakuto-toyota.jp/e317804.html
『日本から新たな世界遺産~明治の産業革命って?』
http://rakuto-toyota.jp/e317806.html
今日は、その続きで、最終回。
『明治の産業革命、世界遺産へ 8県23資産、登録勧告』 朝日新聞
江戸時代が終わり、外国から新しい技術がどんどん入ってきた。
新しい日本は、まだまだはじまったばかり。
がんばって、外国に負けないだけの力をつけたい。
前回までのお話で、炭を燃やした火力で鉄をつくるところまではできたよ。
次は、その鉄を使って、何かを作ることになる。
外国に負けない日本になるために、真っ先に作らないといけないのは、何だろう?
みんな、当時の総理大臣になりきって、想像してみてね。
みんなが総理大臣だったら、何を作りなさいと命令する?
・・・
答えはいろいろと考えられるけど、まずは何といっても船。
前に紹介した、黒船来航(くろふねらいこう)。
ペリーがのってきた黒船は、日本人では想像もできないような、大きな強い船だった。
当時外国と行き来しようと思うと、船が必要だった。
日本にも、外国に負けないような、立派な船が必要だ。
日本では、幕末から明治時代にかけて、外国の船を買ったりしたけれど、もっともっと船を増やすためには、自分たちの力で作り出せるようになる必要がある。
そこで整備されたのが、造船所とよばれる場所。
巨大な船を作るための工場だ。
今回の遺産の中には、長崎県の三菱長崎造船所をはじめ、造船所に関係するものが8か所選ばれている。
技術が発展して、いろいろなものが作られるようになると、もっともっとたくさんの鉄が必要になる。
そこで、たくさんの鉄をつくることのできる製鉄所も整備した。
今回の遺産には、福岡県の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)の工場から、4つの設備が選ばれている。
ここまでに紹介してきた遺産以外にも、山口県萩(はぎ)で松下村塾(しょうかそんじゅく)や城下町など、当時の文化や生活を伝えるものも選ばれているよ。
RAKUTOっ子で国語・社会コースをとっている子は、「松下村塾」のことを覚えているかな?
ホップ歴史に登場した吉田松陰が大活躍した、あの塾だ。
当時の外国のことをたくさん勉強し、「いまのままでは、日本は植民地になってしまう!」とみんなに伝えたのが吉田松陰だ。
吉田松陰の活躍もあって、当時の長州藩(ちょうしゅうはん:山口県)の人たちは、「今の幕府にまかせておくと、日本が外国のものになってしまう!」という思いを持つようになり、明治維新にいたることになる。
「明治の産業革命」遺産を振り返ることは、吉田松陰のように、日本の将来ために力をつくした人たちの功績を振り返ることにもなるね。
「明治の産業革命」遺産は、予定通りにいけば、6月28日からドイツで開かれる世界遺産委員会で、世界遺産として登録決定となるはずだ。
しかし、これに反対している国もある。
おとなりの韓国だ。
韓国では、「明治の産業革命」資産には、韓国人が日本によって強制労働(きょうせいろうどう)させられた場所があるとして、世界遺産への登録に反対している。
長崎県の端島炭鉱(はしまたんこう)などが、それにあたる。
大正時代、端島炭鉱には、500~600人の韓国人が働いていた。
強制労働というと、「戦争でほりょになって、無理やり連れてこられた」というイメージが強いけど、このうち多くの人は「とてもいい環境で、給料もたくさん出るよ。」という宣伝にひかれて自らやってきた。
ところが、実際には、仕事はとてもきついし、給料も少なかった。
だから、ここで働いていた人は、日本人も韓国人もそして中国人も、ここの仕事をやめたいと思っていた人が多かったらしい。
でも、それはゆるされず、島で働くしかなかったんだって。
結果的に、自殺した人や、島抜け(しまぬけ)といって、むりやり島から逃げ出そうとする人が、たくさんいたみたい。
そんな悲しい歴史もあるけど、未来へのいましめとして、そうした記憶を残していくことも、遺産の大切な役割のひとつかもしれないね。
写真は、長崎県の端島。
見た目が軍艦に似ているので、軍艦島(ぐんかんじま)と呼ばれているよ。
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⇒RAKUTOの理念
⇒コース/料金
⇒説明会/体験授業
⇒レッスンの様子はこちら
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今回は、日本に新しい世界遺産がうまれたことを記念して、世界遺産シリーズ。
『日本にあらたな世界遺産~いったいどんな建物?』
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http://rakuto-toyota.jp/e317806.html
今日は、その続きで、最終回。
『明治の産業革命、世界遺産へ 8県23資産、登録勧告』 朝日新聞
江戸時代が終わり、外国から新しい技術がどんどん入ってきた。
新しい日本は、まだまだはじまったばかり。
がんばって、外国に負けないだけの力をつけたい。
前回までのお話で、炭を燃やした火力で鉄をつくるところまではできたよ。
次は、その鉄を使って、何かを作ることになる。
外国に負けない日本になるために、真っ先に作らないといけないのは、何だろう?
みんな、当時の総理大臣になりきって、想像してみてね。
みんなが総理大臣だったら、何を作りなさいと命令する?
・・・
答えはいろいろと考えられるけど、まずは何といっても船。
前に紹介した、黒船来航(くろふねらいこう)。
ペリーがのってきた黒船は、日本人では想像もできないような、大きな強い船だった。
当時外国と行き来しようと思うと、船が必要だった。
日本にも、外国に負けないような、立派な船が必要だ。
日本では、幕末から明治時代にかけて、外国の船を買ったりしたけれど、もっともっと船を増やすためには、自分たちの力で作り出せるようになる必要がある。
そこで整備されたのが、造船所とよばれる場所。
巨大な船を作るための工場だ。
今回の遺産の中には、長崎県の三菱長崎造船所をはじめ、造船所に関係するものが8か所選ばれている。
技術が発展して、いろいろなものが作られるようになると、もっともっとたくさんの鉄が必要になる。
そこで、たくさんの鉄をつくることのできる製鉄所も整備した。
今回の遺産には、福岡県の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)の工場から、4つの設備が選ばれている。
ここまでに紹介してきた遺産以外にも、山口県萩(はぎ)で松下村塾(しょうかそんじゅく)や城下町など、当時の文化や生活を伝えるものも選ばれているよ。
RAKUTOっ子で国語・社会コースをとっている子は、「松下村塾」のことを覚えているかな?
ホップ歴史に登場した吉田松陰が大活躍した、あの塾だ。
当時の外国のことをたくさん勉強し、「いまのままでは、日本は植民地になってしまう!」とみんなに伝えたのが吉田松陰だ。
吉田松陰の活躍もあって、当時の長州藩(ちょうしゅうはん:山口県)の人たちは、「今の幕府にまかせておくと、日本が外国のものになってしまう!」という思いを持つようになり、明治維新にいたることになる。
「明治の産業革命」遺産を振り返ることは、吉田松陰のように、日本の将来ために力をつくした人たちの功績を振り返ることにもなるね。
「明治の産業革命」遺産は、予定通りにいけば、6月28日からドイツで開かれる世界遺産委員会で、世界遺産として登録決定となるはずだ。
しかし、これに反対している国もある。
おとなりの韓国だ。
韓国では、「明治の産業革命」資産には、韓国人が日本によって強制労働(きょうせいろうどう)させられた場所があるとして、世界遺産への登録に反対している。
長崎県の端島炭鉱(はしまたんこう)などが、それにあたる。
大正時代、端島炭鉱には、500~600人の韓国人が働いていた。
強制労働というと、「戦争でほりょになって、無理やり連れてこられた」というイメージが強いけど、このうち多くの人は「とてもいい環境で、給料もたくさん出るよ。」という宣伝にひかれて自らやってきた。
ところが、実際には、仕事はとてもきついし、給料も少なかった。
だから、ここで働いていた人は、日本人も韓国人もそして中国人も、ここの仕事をやめたいと思っていた人が多かったらしい。
でも、それはゆるされず、島で働くしかなかったんだって。
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Posted by RAKUTO豊田校
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