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2016年02月20日 06:00 学び~社会
小澤征爾さんがグラミー賞~小澤さんってどんな人?
『グラミー賞に小澤征爾さん指揮のアルバム 初の受賞』 朝日新聞
前回は、グラミー賞について紹介したよ。
今日は、その続き。
『小澤征爾さんがグラミー賞~グラミー賞ってどんな賞?』
http://rakuto-toyota.jp/e353607.html
世界で活躍(かつやく)している日本人は、たくさんいるよ。
指揮者(しきしゃ)の小澤征爾(おざわせいじ)さんも、その一人だ。
オーストリアにある、ウィーン国立歌劇場(こくりつかげきじょう)は、とても歴史のある劇場として有名だ。
そして、そこで活躍するオーケストラ、ウィーン国立歌劇場管弦楽団(こくりつかんげんがくだん)は、世界でも1,2をあらそう人気のオーケストラ。
そのオーケストラの楽団長ともなると、これは世界でも有数の指揮者しかなることができない。
小澤征爾さんは、その楽団長を、2002年から2010年までつとめた、世界でも指折りの指揮者なんだ。
小澤さんは、1935年に、中国の地で生まれた。
中国といっても、当時は日本の領土だった満州(まんしゅう)というところに生まれた、れっきとした日本人だ。
小さなころからピアノのうでをみがいてきた小澤さん。
その夢は、ピアニストだった。
しかし、中学生の時に、事件がおこる。
ラグビーの試合で、大けがをして、指がうまく動かなくなっちゃったんだ。
このおかげで小澤さんは、ピアノをあきらめ、指揮者をめざすことになった。
その後、小澤さんは、齋藤秀雄(さいとうひでお)さんという先生のもとで、指揮のうでをみがく。
そして、1959年、念願(ねんがん)だったフランスへの留学(りゅうがく)に出発。
パリで留学中の小澤さん。
さっそくブザンソン国際指揮者コンクールに出場。
みごとに、1位にかがやいた。
そのおかげもあって、ヨーロッパでは一躍(いちやく)有名に。
たくさんのオーケストラを指揮したよ。
その後、小澤さんは、カラヤン指揮者コンクールに出場。
このコンクールは、世界的に有名な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンさんが主催(しゅさい)するものだ。
小澤さんは、このコンクールでも、見事に優勝。
その活躍が、カラヤンさんの目にとまり、カラヤンさんの弟子となる。
この時、小澤さんは、24才。
みずしらずの若い日本人を、世界的に有名なカラヤンさんが弟子にするというのは、よっぽどのこと。
きっと、カラヤンさんは、小澤さんの才能をしっかりと見抜いていたんだろうね。
1961年、小澤さんは、アメリカにわたり、ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者となる。
この時のニューヨーク・フィルハーモニックのメイン指揮者は、こちらも世界的に有名な、レナード・バーンスタインさん。
小澤さんは、バーンスタインさんの弟子となって、活躍をはじめる。
同じく、1961年のこと。
小澤さんは、日本でいちばん有名なオーケストラ、NHK交響楽団(こうきょうがくだん)から、指揮者として迎え入れられる。
ついに、母国日本で活躍する時が・・・と思いきや、小澤さんとNHK交響楽団は、大げんか。
けんか別れになってしまった。
小澤さんは、「もう日本では、音楽活動をしない!」と心に決めて、再びアメリカへわたったんだ。
そして、1973年、小澤さん38才の時。
アメリカの5大オーケストラのひとつボストン交響楽団から、音楽監督としてまねかれる。
ここで、小澤さんは、大活躍。
世界的に有名となり、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など、ヨーロッパでも指折りの楽団を指揮するようになる。
そして、2002年。
日本人として初めて、ウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督となった。
一度は、「日本では音楽活動をしない!」と決めた小澤さんだけど、日本でも活躍しているよ。
1984年、指揮の先生であった齋藤秀雄さんが亡くなって、10年目のこと。
齋藤さんのもとで音楽を学んだ人たち100人が世界中から集まって、コンサートを開催。
1992年からは、サイトウ・キネン・オーケストラとして、小澤さんが音楽監督をつとめるようになった。
今回、グラミー賞を受賞したオペラ「こどもと魔法」は、このサイトウ・キネン・オーケストラが演奏している。
長野県松本市(まつもとし)で毎年行われている、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で録音されたものだ。
この録音には、サイトウ・キネン・オーケストラだけではなく、長野県のアマチュア歌手や、子どもたちで作る児童合唱団も加わっているんだって。
小澤さんと長野県のみんなで、一緒に作り上げたオペラなんだね。
そんなオペラがグラミー賞にかがやいたんだから、これは小澤さんも大喜びだね。
小澤さんは、今、80才。
病気に苦しんだりもしたけれど、まだまだ活躍してくれるはず。
がんばれ、小澤さん。
写真は、うちにあった小澤さんのCD。
マーラーという作曲家の交響曲の全集だよ。
⇒RAKUTOの理念
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⇒レッスンの様子はこちら
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今日は、その続き。
『小澤征爾さんがグラミー賞~グラミー賞ってどんな賞?』
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世界で活躍(かつやく)している日本人は、たくさんいるよ。
指揮者(しきしゃ)の小澤征爾(おざわせいじ)さんも、その一人だ。
オーストリアにある、ウィーン国立歌劇場(こくりつかげきじょう)は、とても歴史のある劇場として有名だ。
そして、そこで活躍するオーケストラ、ウィーン国立歌劇場管弦楽団(こくりつかんげんがくだん)は、世界でも1,2をあらそう人気のオーケストラ。
そのオーケストラの楽団長ともなると、これは世界でも有数の指揮者しかなることができない。
小澤征爾さんは、その楽団長を、2002年から2010年までつとめた、世界でも指折りの指揮者なんだ。
小澤さんは、1935年に、中国の地で生まれた。
中国といっても、当時は日本の領土だった満州(まんしゅう)というところに生まれた、れっきとした日本人だ。
小さなころからピアノのうでをみがいてきた小澤さん。
その夢は、ピアニストだった。
しかし、中学生の時に、事件がおこる。
ラグビーの試合で、大けがをして、指がうまく動かなくなっちゃったんだ。
このおかげで小澤さんは、ピアノをあきらめ、指揮者をめざすことになった。
その後、小澤さんは、齋藤秀雄(さいとうひでお)さんという先生のもとで、指揮のうでをみがく。
そして、1959年、念願(ねんがん)だったフランスへの留学(りゅうがく)に出発。
パリで留学中の小澤さん。
さっそくブザンソン国際指揮者コンクールに出場。
みごとに、1位にかがやいた。
そのおかげもあって、ヨーロッパでは一躍(いちやく)有名に。
たくさんのオーケストラを指揮したよ。
その後、小澤さんは、カラヤン指揮者コンクールに出場。
このコンクールは、世界的に有名な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンさんが主催(しゅさい)するものだ。
小澤さんは、このコンクールでも、見事に優勝。
その活躍が、カラヤンさんの目にとまり、カラヤンさんの弟子となる。
この時、小澤さんは、24才。
みずしらずの若い日本人を、世界的に有名なカラヤンさんが弟子にするというのは、よっぽどのこと。
きっと、カラヤンさんは、小澤さんの才能をしっかりと見抜いていたんだろうね。
1961年、小澤さんは、アメリカにわたり、ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者となる。
この時のニューヨーク・フィルハーモニックのメイン指揮者は、こちらも世界的に有名な、レナード・バーンスタインさん。
小澤さんは、バーンスタインさんの弟子となって、活躍をはじめる。
同じく、1961年のこと。
小澤さんは、日本でいちばん有名なオーケストラ、NHK交響楽団(こうきょうがくだん)から、指揮者として迎え入れられる。
ついに、母国日本で活躍する時が・・・と思いきや、小澤さんとNHK交響楽団は、大げんか。
けんか別れになってしまった。
小澤さんは、「もう日本では、音楽活動をしない!」と心に決めて、再びアメリカへわたったんだ。
そして、1973年、小澤さん38才の時。
アメリカの5大オーケストラのひとつボストン交響楽団から、音楽監督としてまねかれる。
ここで、小澤さんは、大活躍。
世界的に有名となり、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など、ヨーロッパでも指折りの楽団を指揮するようになる。
そして、2002年。
日本人として初めて、ウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督となった。
一度は、「日本では音楽活動をしない!」と決めた小澤さんだけど、日本でも活躍しているよ。
1984年、指揮の先生であった齋藤秀雄さんが亡くなって、10年目のこと。
齋藤さんのもとで音楽を学んだ人たち100人が世界中から集まって、コンサートを開催。
1992年からは、サイトウ・キネン・オーケストラとして、小澤さんが音楽監督をつとめるようになった。
今回、グラミー賞を受賞したオペラ「こどもと魔法」は、このサイトウ・キネン・オーケストラが演奏している。
長野県松本市(まつもとし)で毎年行われている、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で録音されたものだ。
この録音には、サイトウ・キネン・オーケストラだけではなく、長野県のアマチュア歌手や、子どもたちで作る児童合唱団も加わっているんだって。
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Posted by RAKUTO豊田校
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