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2014年10月30日 06:00 学び~社会
豊田のデゴイチ~たくさんの人の思いをのせて
豊田のD51 命つなぐ 朝日新聞
日本の首都東京と、大都市大阪。
その中間、ちょっと大阪寄りにあるのが、名古屋。
大都市に挟まれた名古屋には、たくさんの電車の路線が集まっている。
東海道線、関西線、中央線。
通勤や通学、旅行など、毎日たくさんの人が、電車を使っている。
いまから60年ほど昔、1950年ころのこと。
まだまだ電気が十分に使えない時代。
これらの路線を走っていたのは、電車ではない。
蒸気(じょうき)といって、水がふつふつと沸騰(ふっとう)する時の力を使って動く、蒸気機関車(じょうききかんしゃ)だ。
みんな、蒸気機関車って、見たことある?
SLともいうよ。
えんとつから煙をはきながら走る機関車の姿は、とてもかっこいい。
この時代、日本では、たくさんの種類の蒸気機関車が作られた。
中でも、D51という蒸気機関車は、1115台も作られて、日本中を走り回った。
日本中でかつやくするD51は、みんなから「デゴイチ」と呼ばれ、子どもたちにも大人気だ。
名古屋を通る路線でも、このデゴイチが大かつやくしていたんだよ。
時代は、うつりかわり。
電気が十分に使えるようになり、電車がかつやくするようになると、蒸気機関車は少しずつ姿を消していく。
1970年ころ。
名古屋を中心にかつやくしていたデゴイチも、ついにその仕事をおえる時がやってきた。
国鉄(こくてつ:今のJR)では、1972年に、このデゴイチを廃止することを決定。
子どもたちに大人気だったデゴイチも、廃止されて仕事ができなくなれば、あとは解体されて鉄くずにされるのを待つばかり。
ちょっと悲しいことだけど、しかたがないよね。
1971年。
当時、豊田市で市長さんをしていた佐藤さんのもとに、一通の手紙がとどく。
手紙を出したのは、豊田市内の女の子。
「あのデゴイチをこわさないで。」
そういう内容の手紙だった。
女の子のその思いは、佐藤市長にしっかりと伝わった。
佐藤市長は、さっそく国鉄に話をした。
その結果、デゴイチは、豊田市がもらいうけることになったんだ。
そして、今。
このデゴイチは、豊田市の交通公園で見ることができる。
手紙で思いを伝えた女の子、それをうけとった佐藤市長、デゴイチをゆずってくれた国鉄の人たち。
みんなのおかげで、デゴイチは、今でも子どもたちの人気者。
ところが。
2010年、豊田市は古くなった交通公園をとりこわし、別の場所に新しい交通公園を作った。
古い交通公園は立ち入り禁止に。
デゴイチも、一緒に新しい公園にお引越しかと思いきや。
立ち入り禁止となった古い公園の一角に、取り残されたままになってしまった。
デゴイチのお引越しには、とてもお金がかかるんだ。
お引越しだけではなく、日ごろの手入れにもたくさんのお金がかかるデゴイチ。
豊田市では、デゴイチを解体することも考えた。
そこで立ち上がったのが、安城市の久世(くざ)さんをはじめとしたSL保存会の人たち。
久世さんたちは、SLが大好き。
豊田市に残るデゴイチを心配して、市に話をもちかけた。
お金のかかる手入れは、自分たちが行うので、ぜひデゴイチを残してほしい。
その結果。
2010年以来、閉ざされたままになっている古い交通公園は、2015年春に新たな公園として生まれ変わることに。
デゴイチは、その公園のシンボルとして、ふたたびみんなの前に姿をあらわすことになった。
新しい公園では、定期的にイベントなども行われる予定だ。
たくさんの人たちの思いをのせたデゴイチ。
新しい公園で、そのかっこいい姿を見ることができるようになるのが、楽しみだね。
写真は、旧交通公園のデゴイチ。ブログサイト「蒸気機関車汽笛復元の記録」(リンク)から借用しました。
ぼくの自宅から、歩いて5分くらいのところにあるんだよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/kuze3004
日本の首都東京と、大都市大阪。
その中間、ちょっと大阪寄りにあるのが、名古屋。
大都市に挟まれた名古屋には、たくさんの電車の路線が集まっている。
東海道線、関西線、中央線。
通勤や通学、旅行など、毎日たくさんの人が、電車を使っている。
いまから60年ほど昔、1950年ころのこと。
まだまだ電気が十分に使えない時代。
これらの路線を走っていたのは、電車ではない。
蒸気(じょうき)といって、水がふつふつと沸騰(ふっとう)する時の力を使って動く、蒸気機関車(じょうききかんしゃ)だ。
みんな、蒸気機関車って、見たことある?
SLともいうよ。
えんとつから煙をはきながら走る機関車の姿は、とてもかっこいい。
この時代、日本では、たくさんの種類の蒸気機関車が作られた。
中でも、D51という蒸気機関車は、1115台も作られて、日本中を走り回った。
日本中でかつやくするD51は、みんなから「デゴイチ」と呼ばれ、子どもたちにも大人気だ。
名古屋を通る路線でも、このデゴイチが大かつやくしていたんだよ。
時代は、うつりかわり。
電気が十分に使えるようになり、電車がかつやくするようになると、蒸気機関車は少しずつ姿を消していく。
1970年ころ。
名古屋を中心にかつやくしていたデゴイチも、ついにその仕事をおえる時がやってきた。
国鉄(こくてつ:今のJR)では、1972年に、このデゴイチを廃止することを決定。
子どもたちに大人気だったデゴイチも、廃止されて仕事ができなくなれば、あとは解体されて鉄くずにされるのを待つばかり。
ちょっと悲しいことだけど、しかたがないよね。
1971年。
当時、豊田市で市長さんをしていた佐藤さんのもとに、一通の手紙がとどく。
手紙を出したのは、豊田市内の女の子。
「あのデゴイチをこわさないで。」
そういう内容の手紙だった。
女の子のその思いは、佐藤市長にしっかりと伝わった。
佐藤市長は、さっそく国鉄に話をした。
その結果、デゴイチは、豊田市がもらいうけることになったんだ。
そして、今。
このデゴイチは、豊田市の交通公園で見ることができる。
手紙で思いを伝えた女の子、それをうけとった佐藤市長、デゴイチをゆずってくれた国鉄の人たち。
みんなのおかげで、デゴイチは、今でも子どもたちの人気者。
ところが。
2010年、豊田市は古くなった交通公園をとりこわし、別の場所に新しい交通公園を作った。
古い交通公園は立ち入り禁止に。
デゴイチも、一緒に新しい公園にお引越しかと思いきや。
立ち入り禁止となった古い公園の一角に、取り残されたままになってしまった。
デゴイチのお引越しには、とてもお金がかかるんだ。
お引越しだけではなく、日ごろの手入れにもたくさんのお金がかかるデゴイチ。
豊田市では、デゴイチを解体することも考えた。
そこで立ち上がったのが、安城市の久世(くざ)さんをはじめとしたSL保存会の人たち。
久世さんたちは、SLが大好き。
豊田市に残るデゴイチを心配して、市に話をもちかけた。
お金のかかる手入れは、自分たちが行うので、ぜひデゴイチを残してほしい。
その結果。
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たくさんの人たちの思いをのせたデゴイチ。
新しい公園で、そのかっこいい姿を見ることができるようになるのが、楽しみだね。
写真は、旧交通公園のデゴイチ。ブログサイト「蒸気機関車汽笛復元の記録」(リンク)から借用しました。
ぼくの自宅から、歩いて5分くらいのところにあるんだよ。
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Posted by RAKUTO豊田校
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